受容史研究と一愛好家:『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち:近世の観劇と読書』
私は美術展に行くのが趣味で、特に近現代美術の展覧会に行っては展示の構成や解説文の内容、展覧会の宣伝方法やマーケティングなどについてあれこれ考えるのが好きだ。しかし私は学芸員でも研究職でもなく、芸術的な創作活動も行ってはいない、ただの一愛好家にすぎない。私自身が芸術の消費者でしかなく作り手になれかったことを口惜しく思う一方で、歴史記述において、作り手にはなりえなかった愛好家たちの存在がどのように描かれてきたのか気になるようになった。そしてフェミニズム批評・美術史に触れる中で、一部の女性が優れた作り手だったことを認めつつ多くの女性たちが構造的に単なる消費者に留まざるを得なかったとするような見方は、「芸術とは何か」の定義や芸術をめぐる制度設計が権力ある男性たちに専有されてきたことを暴く一方で、消費者としての女性たちの経験に対しては無関心であるかもしれないと感じるようになり、芸術の受容史に関心を抱くようになった。*1
だからこの本の序論のタイトル「わたしたちが存在していた証拠を探して」を見たときには心躍るような気持ちになり、読み進めながら嬉しくて涙ぐみそうになるところもあった。この本では作家や批評家、書籍商などとして著名な女性たちの業績だけでなく、無名の女性たちの楽しみもまたシェイクスピア劇の正典化に貢献したことが指摘されている。下記のように、本書には無名の女性たちの痕跡を発見していく物語としても楽しめるような記述がある。
メアリ・リーヴァーはシャーロット・ラムジー・レノックスに比べてまったく無名ながら、初期のシェイクスピア研究に足跡を残した女性だ。二〇一一年に筆者がニュージーランドのオークランド市立図書館で調査を行なった際に偶然、所蔵されているシェイクスピアのサード・フォリオから手紙の写しが見つかり、そこから女性であるリーヴァーが初期のシェイクスピア作品集の編集に関わっていたことがわかった。リーヴァー関連の史料との出会いは、本書の執筆のために行なった調査のなかで最も重要な出来事であり、予想だにしないところで起こった。(p.174)
他方で本書はシェイクスピア劇の正典化がナショナリズムと切り離すことのできない動きであった点にも触れている。例えば『女性の権利の擁護論』の著者ジュディス・ドレイクについては、古典語の教育を受けられない女性はその分優れた英語の使い手になれると考えていたこと、俗語である英語に価値を見出し国語として尊重するべきと主張したことなど、女子教育や英語の重視という観点からシェイクスピアを評価していた点を挙げている(p.143-152)。
また、シェイクスピア・ジュビリー祭でのスピーチで当時のスターであるデイヴィッド・ギャリックが「ご婦人方よ、シェイクスピアを舞台に取り戻してくださったのはあなた方でいらっしゃいました!」(p.201)と女性客への感謝の意を表し女性パトロンの支持を獲得しようとすると同時に、ヴェネツィアのデズデモーナを引き合いに出してイングランド女性を称賛するというナショナリスト的な発言をしていることについても言及している(p.219-220)。*2
本書は書誌学の専門家が膨大な史料を元に行なった研究成果でありながら、広い読者に開かれた読み物であると感じた。*3「マイクロフィルムや電子複写を除いても、ファースト・フォリオだけで三十冊以上を実際に手にして確認したので、これだけで総額一五〇億円程の人類の財宝を素手で触ったことになる。」(p.58-59)などと史料価値を現金換算する発想は身近に感じられるし、前に触れたメアリ・リーヴァー関連の史料発見のドラマティックな場面は読者の心を引き付けるような書きぶりだ。他にも非常にサービス精神旺盛な記述が随所に見受けられる。シェイクスピアを無名の女性たちが楽しんだように、研究の成果もまた研究者だけのものではない。そのことを本書は体現しようとしていると思う。
*2018/10/27追記*
タイトルに書名を追加しました。
*1:私自身が作り手になれなかった原因のすべてがジェンダー構造にあるとは思っていない。私は自分のコンプレックスを探求心に変えて読書したり批評したりしているが、自分自身に対する答えを出すのはとても難しい。
*2:少し話が飛躍するが、ナショナリズムとフェミニズムの関係の歴史はとても厄介で語りにくいと感じてしまう。女性たちがシェイクスピアの正典化、国民詩人の誕生に貢献してきたことについて、その足跡のひとつひとつに感動しつつも、国民や正典という概念がもつ排他的な側面は否めない。この語りにくい関係について書くのは、まだ私にとっては困難なことだ。
*3:例えば『学術書を書く』という学術書の書き方についての実践的指南書は、「多少専門の離れた、しかし広くは関係する分野の研究者・学生にとって魅力的な本」(p.13)を書く手法を提示するというが、本書『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』はそれよりも明らかに広範な読者を想定しているようだ。