at a snail's pace

読書と鑑賞の記録

作品を展示する場所:「サム・フランシスの色彩」展

www.asahibeer-oyamazaki.com

 アサヒビール大山崎山荘美術館の企画展「サム・フランシスの色彩」を観に行ったのだが、少し残念な展示で失望してしまった。

 サム・フランシス(1923-1994)はアメリカの抽象表現主義の系統に位置づけられる画家で、作品の特徴を物凄く雑に表現すると余白の多いジャクソン・ポロックという感じである*1。一般に20世紀半ば以降の抽象表現主義の興隆により現代美術の中心地はパリからニューヨークへ移ったとされ、同時にアメリカのマーケットの趣向に合わせて現代美術の作品のサイズは巨大化してきたと言われており、戦後アメリカの著名画家たちの作品は皆とにかくデカい。その巨大な抽象絵画を、日本の個人山荘を整備してできた美術館でどのように飾るのかが本展の焦点だったと思うのだが、正直なところあまりうまくいっていない気がする。

 本展ではサム・フランシスの作品は9点あり、そのうちサイズの大きな5点は本館(旧加賀家山荘部分)ではなく、平成に入ってから建てられた山手館と地中館に展示されている。この山手館と地中館は安藤忠雄が設計した打放しコンクリートの建築で、サイズの大きい現代美術作品を飾るために作られた部屋といっても過言ではないだろう。ただやはり、この美術館のメインは本館の旧山荘部分なので、本館よりも大きくするわけにはいかなかったようで、結果的に山手館と地中館は中途半端な大きさになってしまっているように思う。特に山手館は、抽象表現主義の絵筆が暴れ回った軌跡のような作品が複数配置された状態で見ると、どうしても狭苦しく感じてしまう*2

 地中館の展示も苦しさを感じる。ここではサム・フランシスの『無題 5枚組』とクロード・モネの『睡蓮』が向かい合わせで配置されているのだが、『睡蓮』の額装表面のガラスに、向かいの『無題 5枚組』が反射して映り込んでしまっていた。抽象表現主義の荒々しい筆致が『睡蓮』の池に映っているのは少しも趣深い展示ではないので、配置と照明のミスだと思う。そもそも、モネとアクション・ペインティングを並べて展示すること自体、かなり挑戦的な試みなので、やるなら工夫が必要だったはずだ。

 そして私が最も厳しいと感じたのは、本館での比較的小さいサム・フランシス作品の展示だ。本館には4点あったが、いずれも何かぬくもりある木製のショーケースの中に展示してあったのである。そのうちの1点『The Five Continents in Summertime』に至っては、ショーケースのガラス表面が濁っていて傷があり、さらに中の作品もなぜか表面がガラスで額装されていた。また本館の照明は温かみのある電球色でほぼ統一されているのだが、サム・フランシス作品の真っ白な余白を生かすには、昼白色程度のやや青みがかった照明のほうが適していると感じた。

 今回のサム・フランシスの展示は奇を衒ったというよりも、限られたスペースに無理に作品を押し込めてしまった結果であるように感じる。本館の別フロアにあった焼き物の展示はとてもよかったので、作品は展示する場所を選ぶのだと改めて思った。

 

*2018/10/27追記*
タイトルに展覧会の名称を追加しました。

*1:ただジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングの特徴の一つとして執拗なほどに画面を絵具で覆い尽くすこと(オールオーバー)が挙げられるので、余白ができたらジャクソン・ポロックではなくなる。この点では、サム・フランシスとジャクソン・ポロックは全くの別物である。

*2:例えばDIC川村記念美術館のように広大な敷地面積を持つ美術館の場合、巨大な現代美術作品を展示しても空間の有限性を感じさせない。今になって思えば、私は美術館という作品を入れるハコが透明であるかのように錯覚して、フランク・ステラの作品を鑑賞していたようだ。