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読書と鑑賞の記録

人口政策としての「少子化対策」:『文科省/高校 「妊活」教材の嘘』

 

文科省/高校 「妊活」教材の嘘

文科省/高校 「妊活」教材の嘘

 

 2015年夏、高校保健体育の副教材(平成27年度版)に掲載された「女性の妊娠のしやすさの年齢による変化グラフ」に誤りがあることが明らかになった。昨年刊行された『文科省/高校「妊活」教材の嘘』は、グラフの誤りをはじめとする副教材内の不適切な記述に対する検証と、教育現場等に介入する国の少子化対策のあり方自体を問う論考を収めていて、本件の論点を整理するのに有用な書籍であると思う。特に副教材における多様性の観点の欠如や少子化対策の根拠となるデータの問題点、人口政策の歴史的経緯と変遷など、グラフの件だけでなく副教材の根底にある考え方を問い直していて、勉強になった。

文章は全体的に、一般的な学術書よりも分かりやすく書かれていたと思う。そして表紙の「妊活」という文字のおどろおどろしいフォントが、この本の問題意識を表しているような気がする。今回は私の個人的な関心から、主に第7章(大橋由香子「人口政策の連続と非連続――リプロダクティブ・ヘルス/ライツの不在」)と第8章(皆川満寿美「「結婚支援」と少子化対策――露骨な人口増加政策はいかにして現れるか」)についてまとめてみたい。*1

半世紀以上にわたる人口政策の経緯を振り返るにあたり、大橋は1960年代から1994年のカイロ国際人口・開発会議までの世界的な流れを以下のように概観している。

一九六〇年代から、世界の人口の急激な増加が問題となり、国連は一九七四年を国際人口年と定め、第三回世界人口会議(一九七四年、ブカレスト)では、人口増加率を下げる各国の目標値が掲げられた。そして、「人口爆発」というセンセーショナルな言葉とともに、開発途上国では、半ば強制的な不妊手術が行われたり、先進国では認可されていない危険な避妊薬が使われ、健康被害と人権侵害を引き起こした。

一方、人口増加政策やキリスト教など宗教の影響から、中絶を禁止する国も存在している。中絶を施術したことで牢屋に入れられたり、非合法の闇中絶によって命の危険にさらされたり、ここでも女性の健康と権利が脅かされていた。

こうした人口政策を進める国際機関や政府代表が集まる第四回国際人口会議(一九八四年、メキシコシティ)に対抗して、世界各地の女性グループがオランダで女と健康国際会議を開いた。「人口管理はいらない、女が決める」をスローガンに、リプロダクティブ・フリーダム/ライツを主張した。

一〇年後の一九九四年、国連の国際人口・開発会議(カイロ)では、従来の強圧的な人口抑制政策への反省から、リプロダクティブ・ヘルス/ライツを明記した「行動計画」が採択された。これは、人口政策におけるパラダイム転換*2である。(大橋、p.163-164)*3

 そして、「一九九五年ごろから世界的にも日本国内でも、産むか産まないかを決めるのは女性の人権だという認識が、粘り強い女性運動の働きかけによってようやく広まってきた」(大橋、p.164-165)という。大橋は日本での具体的事例として、リプロダクティブ・ヘルス/ライツが1996年の男女共同参画ビジョンに明記されたことや、優生保護法から母体保護法への改定(1996年)の背景に「一連の国際会議におけるリプロダクティブ・ヘルス/ライツの議論も影響している」点などを挙げている(大橋、p.165)。

皆川もほぼ同時期の日本国内の動きについて、大橋と同様の見解を示す。皆川は、1997年の人口問題審議会による報告書『少子化に関する基本的考え方について――人口減少社会、未来への責任と選択』に関して、次のように説明している。

この『少子化に関する基本的考え方について』では、「少子化の影響」について「概ねマイナスな影響」とし、政府として対応の必要性を明示した。しかしその姿勢は、「個人が望む結婚や出産を妨げる要因を取り除くことができれば、それは個人にとっては当然望ましいし、その結果、著しい人口減少社会になることを避けることが期待されるという意味で社会にとっても望ましい」というものであり、「このような観点から、少子化の影響への対応とともに、少子化の要因への対応についても行っていくべきである」とされたのである。その内容は、「固定的な男女の役割分業や雇用慣行を是正し、子育て支援の効果的な推進を図る」ということだったし、以下のような「少子化の要因への対応に当たっての留意事項」四点が書き込まれたのでもあった。*4

 1.子どもを持つ意志のない者、子どもを産みたくても産めない者を心理的に追いつめるようなことがあってはならないこと。
 2.国民のあらゆる層によって論じられるべきであること。
 3.文化的社会的性別(ジェンダー)による偏りについての正確な認識に立ち、そのような偏向が生じないようにすること。例えば、女性は当然家庭にいるべき存在といった認識に立たないこと。
 4.優生学的見地に立って人口を論じてはならないこと。

 そして、この報告書は、「子どもは、次代の社会の担い手となるという意味で社会的な存在であることを認識し、また、高齢者の扶養が公的年金制度により社会化され、介護については公的介護保険制度の導入により社会的な支援を深めようとしている状況も考慮すれば、子どもを育てることを私的な責任(家族の責任)としてだけ捉えるのではなく、社会的な責任である、との考え方をより深めるべきである」と述べていたことにも留意したい。(皆川、p.195-196)

さらに皆川は、人口問題審議会報告書や男女共同参画社会基本法(1999年成立)は「自社さ政権の成果である」*5と述べたうえで、「こうした成果の前段として、カイロ会議で結実するリプロダクティブ・ヘルス/ライツの議論、北京会議(第4回世界女性会議)「行動綱領」などの蓄積、運動の高まりがあった」とし、「人口問題審議会報告書、男女共同参画社会基本法は、これらを、日本の政治が受け止めたものである」と評価する。(皆川、p.196)

各国際会議の動向に応えるように、日本でも1990年代後半には、リプロダクティブ・ヘルス/ライツの観点を踏まえた議論が行われ、政治的な成果を上げつつあったようである。しかし数年後にはバックラッシュともいえる動き、すなわち少子化社会対策基本法の成立(2003年)と5年ごとの少子化社会対策大綱の策定という流れに逆戻りすることになる。大橋は少子化社会対策基本法について以下のように説明する。

法律の前文では、少子化の進展は「深刻かつ多大な影響をもたらす。我らは、紛れもなく、有史以来の未曾有の事態に直面」し、「我らに残された時間は、極めて少ない」と危機感を煽る。また、「子どもを生み、育てる者が真に誇りと喜びを感じることのできる社会を実現し」「新たな一歩を踏み出すことは、我らに課せられている喫緊の課題である」と勇ましい。戦争中の一九四一年に制定された人口政策確立要綱(後述)と、どことなく文体や雰囲気が似ている。

第六条は「国民の責務」として「国民は、家庭や子育てに夢を持ち、かつ安心して子どもを生み、育てることができる社会の実現に資するよう努めるものとする」と規定する。この法律の国会審議においても、夢を持つことが責務になることを疑問視する意見もあった。(大橋、p.165-166)

あまりの不気味さに鳥肌が立ってしまうような条文である。なお大橋は戦中の人口政策確立要綱について、『写真週報』218号(1942年4月29日号)に掲載された、人口政策確立要綱の内容を国民に分かりやすく紹介する記事「これからの結婚はこのやうに」を紹介している。大橋によればその記事には、「大東亜の建設という大事業をやり遂げるには何といってもまず人です。強い、有能な人が将来ますます必要なのです。その人を殖やすには先決問題として結婚を促進しなければなりません。(後略)」*6(大橋、p.172)といった文章が掲載されている。

話を現代に戻すと、少子化社会対策基本法成立の翌年である2004年には、法律に基づき1回目の少子化社会対策大綱が閣議決定されたが、その内容について皆川は次のように指摘している。

二〇〇四年六月に閣議決定された最初の「大綱」は、全体としては(仕事と子育ての)「両立支援」的な色彩が強かったといえるものの、「三つの視点」の(3)として、「子育ての新たな支え合いと連帯――家族のきずなと地域のきずな」が入り、「職場優先の風潮などから子どもに対し時間的・精神的に十分向き合うことができていない親、無関心や放任といった極端な養育態度の親などの問題が指摘されている」「人々が自由や気楽さを望むあまり、家庭を築くことや生命を継承していくことの大切さへの意識が失われつつあるとの指摘もある」などといった記述が行われた。*7人口問題審議会報告書への言及は一切なく、同報告書が強調した四点にかかわる記述も見られない。(皆川、p.198)

先ほどの人口問題審議会による報告書を改めて読み直し、両者を比較すると、その変容ぶりに驚く。第1回の「大綱」は、1990年代後半までの成果を顧みない、反動的な内容であったといえるだろう。

「大綱」はその後、約5年おきに策定されており、第2回「大綱」は、「小渕優子内閣府特命担当大臣少子化対策)(当時)のもと策定作業が始まったが、その途中で政権交代し、その作業は民主党(当時)を中心とする連立政権に引き継がれた。閣僚としてこれを担当したのは、福島瑞穂参議院議員で、二〇一〇年一月、策定された。」(皆川、p.198)

皆川も指摘するように、この第2回「大綱」には、「結婚や出産は個人の決定に基づくものであることは言うまでもありません。個人の希望する結婚、出産、子育てを実現するという観点から、子どもを生み育てることに夢を持てる社会を目指します。」「安心して妊娠・出産できる家庭、地域、社会をつくり、生まれてくる子どもたちを歓迎できるよう、妊婦健診や周産期医療など、安心・安全なお産ができる環境整備や支援を進めるとともに、生涯を通じた女性の健康支援(リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)を図ります。」*8などと記され、リプロダクティブ・ヘルス/ライツに言及するものとなっている。

しかし、さらにそのあとの政権交代後に作業が進められた直近の第3回「大綱」は、その内容から見て第2回大綱を踏襲するものとはいえない。この「大綱」では、結婚支援や妊娠・出産に関する教育の充実化が盛り込まれることとなった。皆川も言及しているように、重点課題として「(2)若い年齢での結婚・出産の希望が実現できる環境を整備する。 」「(3)多子世帯へ一層の配慮を行い、3人以上子供が持てる環境を整備する。」*9などが掲げられており、最初の「大綱」と比べてもより踏み込んだ、早期の結婚や出産を促す内容となっている。問題となった副教材も、この「大綱」を根拠としているものである。

また、3番目の「大綱」には盛り込まれなかった様々な動きについても、皆川は指摘している。

もちろん、この大綱は、数値目標に合計特殊出生率や二〇代での婚姻率(未婚率の減少)を掲げたりはしなかった。議論はあったが、結局掲げなかったのである。それは、二〇一五年秋に打ち出された「ニッポン一億総活躍プラン」における「新三本の矢」の第二である「夢をつむぐ子育て支援」のいう「希望出生率一・八」を待たねばならなかった。しかしながら、「教育」として「妊娠・出産に関する医学的・科学的に正しい知識についての理解の割合」を三四%(二〇〇九年)から七〇%(二〇二〇年)とし、「結婚」については「結婚希望実現指標」なるものが考案されており、現状六八%(二〇一〇年)から目標八〇%(二〇二〇年)と掲げられている。(皆川、p.207)

結婚や出産に関して(あくまで「希望」と冠しながらも)国が数値目標を掲げるというのは、個人の選択とその背後にある多様性を蔑ろにする態度であると思う。また、2009年の「妊娠・出産に関する医学的・科学的に正しい知識についての理解の割合」が三四%とあるが、この数値の根拠となる「スターティング・ファミリーズ調査」については田中が「その質があまりにも低い。日本社会の姿を知るのに適切なデータではない。」(田中、p.155)と結論づけており、論外である。*10

ここまで見てきたように、1990年代後半には少子化対策の議論において踏まえられていたリプロダクティブ・ヘルス/ライツの観点は、2000年代前半の少子化社会対策基本法と第1回「大綱」ではほぼ顧みられず、民主党(当時)を中心とする連立政権下で一時息を吹き返したものの、直近の「大綱」ではほとんど跡形もなく消えてしまっている。

今回は主に報告書や大綱などの文書を中心にまとめたが、実際の運用状況はどうだったのかについても、検証が必要であると思う。少子化社会対策基本法だけでなく男女共同参画社会基本法についても、ミクロな視点での運用の実態を明らかにする調査や研究があれば、見てみたいと思った。

なお、現在の少子化対策のあり方については「戦前回帰」と危惧する声をよく聞く。非常に興味深いと感じるし、危機感を共有したいと思う。ただ私は今のところ、戦前・戦中との類似点についてはもう少し慎重に考えてみたいと思っているので、ここではあまり言及しないでおく。

 

*2018/10/27追記*
タイトルに書名を追加しました。

*1:以下では書籍の文章を原則的にそのまま引用するが、執筆者がハーバード方式で記している参考文献については、その方式を取らず、この注釈で記すことにする。

*2:原文では「転換」に「シフト」というふりがなが付されている

*3:以下、丸カッコ内の(名前、ページ番号)という表記は、それぞれ執筆者名、『文科省/高校「妊活」教材の嘘』での掲載ページを指す。

*4:人口問題審議会、1997年『少子化に関する基本的考えについて――人口減少社会、未来への責任と選択』http://www1.mhlw.go.jp/shingi/s1027-1.html

*5:皆川は「人口問題審議会でこの報告書のための議論が行われていた当時は、自社さ政権であった。総理大臣は自民党の故橋本龍太郎であり、連立を解消した後は、同じく橋本、故小渕恵三と続いた。この時期に、男女共同参画社会基本法の立法のための作業が進められており、小渕政権時の一九九九年に、同法が成立している。」(p.196)と書いている。

*6:ここでは大橋が現代仮名遣いにした文章を使用している

*7:少子化社会対策大綱」内閣府、2004年http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/law/t_mokuji.html

*8:「子ども・子育てビジョン~子どもの笑顔があふれる社会のために~」内閣府、2010年http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/family/vision/index.html

*9:少子化社会対策大綱~結婚、妊娠、子供・子育てに温かい社会の実現をめざして~」内閣府、2015年http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/law/taikou2.html

*10:詳細は第6章(田中重人「日本人は妊娠・出産の知識レベルが低いのか?――少子化社会対策大綱の根拠の検討」)を参照。