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読書と鑑賞の記録

娘は最高/母はどうする:映画『テルマ』(ネタバレ)

 私はホラーもサイコも少し苦手というか、観ている時はよくても後になって寝られなくなったり悪夢を見たりするので避けることが多いのだが、この作品は評判が高そうだし面白そうだしでどうしても観たくなり観た。結果、観てよかったと思う。個人的にはそんなに怖くないと思うし、ここから先はネタバレになるが、結末はあまり悲劇的でも破滅的でもなく、むしろ少女が抑圧から解放され自由を獲得し自立する物語として解釈できるだろう。アナ雪へのアンサー映画だとする説もあるようだが納得で、「エルサは共同体に帰順などせずに、氷の城で超能力を思う存分発揮し独り楽しく暮らせばよかったのに」派の私にとって『テルマ』終盤の父殺しはフィクションである以上当然の展開と感じられた。また、最後のアンニャを迎える際のテルマの表情はちょっと狂気を感じるほど*1自信に満ち溢れており、私の目には超ファビュラスでクィアな魔女かつ世界を意のままに操る女王様のように魅力的に映った。

 テルマのような超能力を持つ人物が世界でただ独りという設定ではないのも面白い点だ。彼女の祖母もまたかつてその能力ゆえにテルマの父トロンに虐待され、テルマが訪ねた時点では自分の意思を一切表明せず相手の話にもほとんど反応しない寝たきりの老女として登場している。また、テルマが医師からの「心因性非癲癇症」という診断を受けてその名称をネットで検索した結果の中に、具体的な年代はよくわからないけれどもとにかく身を捩じらせ苦痛に悶える人々を描いた前時代的な絵画イメージがいくつか散見されたことからも、この映画は「狂人」なるものの歴史性に意識的であるように思われる。特に祖母もテルマもトロンに自由を奪われてきたことを考えると、「魔女」とか「狂女」とか「ヒステリー」とかいう言葉が纏っている、ジェンダー化された狂気の歴史を踏まえていることは明らかだと思うし、さらに言うと女性同性愛者が男性同性愛者とは異なる種類のスティグマを押し付けられてきた歴史も念頭に置かれていると思うのだが、ちょっと「狂女」の歴史にかんする私の知識が足りないのでこれ以上のことは上手く言えない。

 少なくともテルマは父殺しによって自由を得た。祖母については、彼女自身の状況は変わらないだろうから救われないが、テルマの父殺しは観念的には祖母の無念を背負った報復であるとみることはできるかもしれない。何しろ彼女から自由を奪ったのもトロンなのだから。ではテルマの母ウンニはどうなのだろう。

 この作品の中でウンニはどうしようもないほど悲惨な立場に置かれている。

 ウンニは夫や娘に依存的で、情緒がやや不安定な女性として描かれており、車椅子使用者である。自分の娘に息子を殺されたショックで飛び降り自殺を図った際におそらく重傷を負ったであろうことが推測される場面がある。そして終盤のテルマによる父殺しの後、かつて息子の命を奪い、今度は夫を殺したのと同じ娘の力によって、ウンニは突然歩行できるようになってしまうのである。

 こんなに勿体ぶって説明するのが変なくらい短くて取って付けたような(と私は思った)場面なのだが、この歩行シーンに私はかなり当惑してしまった。いきなり歩けるようになった自分に驚き戸惑うウンニと、母を置いて都会の愛する人のもとに颯爽と戻っていくテルマは対照的である。つまり他者によって自立を強制される者と、自ら自由を獲得した者が対比され、ウンニの「解放」は本人の望まない形で突如強制的に実現させられているように私には見えるのだ。私は映画『アルプスの少女ハイジ』でクララが立つシーンに感動する感覚が理解できないし、ハイジは強引で乱暴な子だと思っているのだが、そもそも、自分の脚で歩けないことを依存や抑圧と結び付け、歩けるようになることが自立とか解放であるとかいうようなことを想起させるような描写は、確かによくある表現なのだけれども、未だに通用しているのはちょっとどうかと思う。

 私はちょっとこのウンニの最後の扱いが雑に思えて、いっそのこと実は自殺を図った時に死んでた設定(『シックス・センス』的な)にすればよかったのにとまで思ってしまった。夫の死と娘の自立を見届けたのち亡霊は去っていく…そのほうが美しいサイコ・ホラーとしての完成度が確かなものになるだろうにと。しかしそんな結末ほど残酷な物語はないだろう。こんな不幸を願ってしまうのは闇なのかもしれないのだが、とにかくウンニの扱いには納得がいかないと思った。

*1:個人的には、この最後まで狂ってるみたいなのは本当に素晴らしいと思う。