微笑みの害悪

情動の哲学入門: 価値・道徳・生きる意味

情動の哲学入門: 価値・道徳・生きる意味

 

私はこの本に出てくる「無数の名もなき情動」という言葉がとても気に入っている。情動は、喜怒哀楽のように呼び名があり自分でも意識することができるものだけではない。何も考えずにぼーっとしている時も、理性的に判断を下している時も、何らかの情動が生じている。「何か違和感がある」とか「なんだかもやもやする」というのも、りっぱな情動と言えるだろう。「はじめに」で著者は次のように説明している。

情動は私たちがその名前をよく知っているものだけではない。数えきれないほど多くの名もなき情動たちが存在する。私たちはそのような情動をすべて情動として認めるように、情動の見方を少し改める必要がある。身体的反応を通して世界の価値的なあり方を直観的に感じ取る心の状態は、すべて情動だと見なければならない、そのように情動の見方を少し変えれば、情動に流されずに冷静にものごとに対処すると言われるときも、じつはそこでは、情動が生じていることになる。たしかにそこでは、誤った情動は生じていないだろうが、正しい情動が生じているのである。(p.ⅹ)

情動が人間の生の基本であるならば、情動を蔑ろにしたり軽んじることは避けなければならないように思われる。むしろ「なぜ今、苛々しているのか?」とか「あの時、何も感じなかったのはどうしてか?」などと問うことは、情動に基づいてよりよく考え、生きていくためには必要なことであるように感じる。

この本は第Ⅰ部が主に理論、第Ⅱ、Ⅲ部が実例を交えた議論となっている。どの章も私にとってはすごく興味深くて、夢中になって読んだ。

特に、第Ⅲ部第7章「感情労働」は、自分の情動を押し殺して働かなければならない人にとっては非常に切実な話である。例えば接客業で、最初は客に対して常に笑顔で接することに苦痛を感じていても、慣れてくると苦痛を感じず自然と笑顔になり、喜ばしくさえ感じるようになるということがある。しかし、自然に、自発的に笑顔になれるのなら問題ないかといえば、そうではない、というのがこの章での議論の中心である。

感情労働が無理なく自然に行えるようになるというのは、一見、ストレスや苦痛から店員を解放するようにみえる。しかしじっさいには、無理して感情労働を行うことよりも、さらに深く店員の尊厳を傷つけるのである。それは一時的に尊厳を傷つけるのではなく、半永久的に傷つける。それはようするに隷属性の内面化なのだ。こうして感情労働は、無理やり情動を強いられるのであれ、自発的にそれが湧いてくるのであれ、ともかく人間の尊厳を傷つけるという点できわめて有害なのである。(p.179)

さらに、「隷属性の内面化」よりも重大な問題として、感情労働は、自分が求められている情動について顧みないようにしてしまうという点が挙げられている。

感情労働のもっとも根本的な害は、それに求められる情動の明確化を妨げる点にある。求められる情動が自然に湧いてくるようになればなるほど、その害にどっぷり浸かってしまうことになる。そこから脱出するには、抑圧された違和感や嫌悪感を探り出し、それを手がかりにして要求される情動を明確化しなければならない。つまり、要求される情動が真正性の欠如した欺瞞的な情動であることを暴き出さなければならない。そして自分が本来抱くべき情動、自分の置かれた価値的状況に本当の意味で相応しい情動を抱くようにしなければならない。そのような適切な情動を抱くようになること以外に、感情労働の根本的な害から脱出する道はない。(p.188)

接客業だけではないだろう。上司の冗談に思わず笑ってしまったり、先輩の質問に笑顔で答えてしまったりする。冗談は胸糞悪いものであったかもしれないし、不快感を示すべきだったかもしれない。質問は失礼な内容で、本当は怒ってもよかったかもしれない。でも、あまりにも自然に笑顔が出てしまい、自分が笑っていたことにすら気づけなければ、「本当に笑っていてよかったのだろうか?」と問うことにはたどり着けない。

この章を読みながら思い出したことがある。以前あるイベントで登壇した自己啓発系の講演者が、「女性は本人が意識しなくても微笑んでいるようにみえるが、男性は何もしていないと不機嫌そうに見える。男性は意識的に笑顔を作りましょう」という主旨の話をしていた。もしそうなら、規範的なジェンダー観は女に微笑みを強制しているのかもしれないし、女は常に感情労働させられているのかもしれない。

もちろん、これだけだとかなり雑な主張であるが、感情労働に従事するのは女性のほうが多いというのは事実であるし、女の笑顔はどう考えても称揚されすぎである。「女は愛嬌」という忌々しい呪いから、いったいどれだけの人が自由になれているといえるだろうか。私はあまり自信がない。いつも自らの情動(笑顔など)を商品やサービスのように扱い、他人との取引を円滑に進めるために利用しているのだとしたら、毎日が感情労働だ。そして感情労働ジェンダー化していることは、無視できない現実であると思う。

強面の上司に書類を手渡しするのに、少し微笑みかけてしまう、楽しいことがあるわけではないのに。答えにくいことを聞かれて言葉に詰まり、当座しのぎに笑ってしまう、プライベートについて詮索してくるほうが悪いのに。いつも何があっても無意識のうちに他人のご機嫌を伺っていることは、本来の情動を蔑ろにしていることにもなる。

笑顔は多くの場合、歓迎されポジティブに評価される。しかしながら、実際には適切な情動を覆い隠すこともあり、害悪にもなりうる。笑顔を無条件に称賛することは自分や他人を不幸にすることになるだろうし、まして強制することはあってはならないだろう。

一方で、自分や他人の言動に違和感や嫌悪感を抱くには、時間がかかることもある。しばらくたってから、やっぱり嫌だったな、あれはおかしい、と思うこともある。なぜその場で抗議しなかったのだろうと、ひどく後悔して自分を責めたくなることもある。しかしそのようにして自分の情動について顧みることが、自己欺瞞をしりぞけ、少しでもまともな情動を抱いて生きていくことにつながると思えば、少し励まされるような気もする。