ヌードの秘密

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 横浜美術館で開催されているヌード展に行ってきた。この展示は、駅に掲示されていた広告に、バークレー・L・ヘンドリックスの《ファミリー・ジュールス:NNN(No Naked Niggahs)》が使われているのを見てから、ずっと気になっていた。
【cf. ‘Family Jules: NNN (No Naked Niggahs)’, Barkley L. Hendricks, 1974 | Tate
また、テートといえば昨年Queer British Artが話題になっていて、そのコレクションを見ることができる機会は日本ではあまり多くないと思うので楽しみにしていた。

 今回の展示は19世紀後半から現代に至るまでのヌードに関連する(必ずしも裸ではない)作品を扱っていて、総計134点の作品中、国内所蔵の12点を除く122点がテートのコレクションである。これらが8つのテーマごとのブロックに分かれて展示されている。

 私がとても気に入ったのは、ルイーズ・ブルジョワの作品群だ。多くの作家の作品が1テーマ内にまとめられている中で、ブルジョワの作品は「4 エロティック・ヌード」と「6 肉体を捉える筆触」の2テーマで扱われている。

 「4 エロティック・ヌード」で展示されているのは《自然の法則》と題されたシリーズで、性行為における男女の非対称性を文字どおりひっくり返してしまう。それ自体はシリアスな試みだと思うが、ブルジョワはふざけたようなイラストで滑稽に描いているのが不思議で面白かった。
【cf. ‘The Laws of Nature’, Louise Bourgeois, 2003 | Tate

 「6 肉体を捉える筆触」に展示されているのは、《カップル》《女性》《授乳》などと題された作品群である。いずれも白い紙に血を思わせる赤い絵具を、滴らせるように、滲ませるようにして使って肉体を描いており、生々しくグロテスクな感じがする。少し気持ち悪いけれど、引き込まれるような魅力がある。

 ヌードといえば男性作家が歴史画や宗教画に託けて創作する、エロティックな女性ヌードや隆々とした肉体美を持つ男性ヌードをまず思い浮かべるが、今回の展示では多様な作品を見ることができて、とても楽しかった。女性作家も(他の美術展と比べれば)多めに扱われている気がする。

 しかしながら、美術史の中に埋もれていた女性作家を発見し、その作品を美術館に飾るだけでは、リンダ・ノックリン等初期のフェミニズム美術史家たちと同じ過ちを犯すことになるだろう。*1その点で、この展示における説明テキストには物足りなさを感じる部分もある。

 例えば、ウェールズ出身のグウェン・ジョンの《裸の少女》について、今回の展示での説明テキストは、少女の身体がこわばっている理由として、モデルが嫌な性格だったとジョンが友人に打ち明けていたエピソードを紹介しており、ジョンとモデルのぎこちない関係が表現されている旨を指摘していた。本当にそうだろうか?
【cf. ‘Nude Girl’, Gwen John, 1909-10 | Tate
他方でテートのウェブサイトにある説明には、当時の女性作家にとってヌードはモラルやマナーの点で微妙なテーマであったことが記載されているが、核心的な部分には触れていないように感じる。

 私の頭に浮かんだのは、そもそも19世紀後半から20世紀初頭の西ヨーロッパにおいて、女性が正規の美術教育を十分に受けられたのだろうかという疑念だった。ジョンが他の男性画家たちと同様に解剖学を習得していたら、これほど不自然に体が薄く撫肩の少女を描いただろうか?

 美術史家グリゼルダ・ポロックがノックリンを批判しつつ強調したのは、ヌードを描くのが最も高尚とされた時代において、ヌード・デッサンを行うアカデミーのクラスから女性が排除されたことの深刻な影響だった。

 これはアメリカの例だが、ペンシルヴァニア美術アカデミーの教師だったトマス・イーキンズは、女性クラスでヌード・デッサンを行うことができなかったため、女性たちが牛をデッサンしていた様子を写真に収めている。
【cf. Women's modeling class with cow in Pennsylvania Academy studio | PAFA - Pennsylvania Academy of the Fine Arts

 ないものねだりになってしまうのだろうけれど、ヌードをテーマにするなら、ヌード・モデルの配分をめぐる歴史的経緯にもっと触れてほしかった。今回の展示のコピーは「そのヌードには、秘密がある。」だが、これこそがまず暴露されなければならない秘密では?と思う。

 個人的には、美術作品の説明テキストや音声ガイドは、充実しているほうがいいと思っている。だいたい最初から純粋で素朴な感性なんて存在しなくて、ほとんど社会的に構築されたものだから、知識ゼロで鑑賞しても陳腐な感想しか持てない。作品のコンテクストや政治性をある程度知ったうえで、それでも上手く説明できない何か変なものに出会って、また調べたり考えたりするのが、私は楽しい。

*1:フェミニズム美術史については、2017年度東大クィア理論公開講座で多くの学びを得ました。お陰で今回の展示は何倍も楽しめたと思います。なお具体的な講義内容をネットで公開することができないため詳細は差し控えさせていただきます。