生理介護と子宮摘出

性と生殖に関する権利をめぐる議論は女性運動史・フェミニズムにおける重要な論点のひとつで、しかも現在進行形の問題である。

2017年11月に旧優生保護法(1948~96年)下で行われた障害者の強制不妊手術に関する資料の発見について各メディアが報じ、10代女性が「月経の始末もできない」という理由により対象になっていたことなどが明らかになった*1。同年12月には宮城県内の60代の女性が旧優生保護法に基づき、知的障害を理由に不妊手術を強制されたのは憲法違反だとして、国に損害賠償を求めて2018年1月に仙台地裁に提訴する旨を各メディアが報じた*2

こうした報道を目にしていたのと同じ時期に、私は女性障害者が自身の性と生殖について記した本の存在を知った*3。今回はその本を紹介しながら、考えたことをまとめたいと思う。

『新版 私は女』は、1984年に『私は女』として刊行された「私は女<1983>」に、11年後の「私は女<1994>」を加え、1995年に新版として刊行された書籍である。「私は女<1983>」は、1983年4月から9月にかけて、編者の岸田と金が重度女性障害者から話を聞いた記録や書簡、および自らもそれぞれ障害を持つ岸田と金の文章から構成されている。なお、今回は入手のしやすさから『新版 私は女』のほうを参照するが、これから紹介するのはすべて「私は女<1983>」の文章である(今回は、11年後の「私は女<1994>」には触れていない)。

岸田のあとがきによれば、岸田と金は、岸田が当時参加していたグループの機関紙に書いた「子宮とのつきあい」という文章を持って、各地の重度女性障害者を訪ねたという。この文章には「典型的な重度女性障害者の子宮摘出の問題」(p.269 *4)として、岸田の知人であるNさんの例が記されている。岸田によれば、岸田やNさんを含む重度女性障害者の多くは「親からも、男性や社会からも、女性として生きることを否定され」(p.269-270)「性に対してすごく憧れたり、全く絶望してあきらめたりする」(p.270)。岸田の問題意識が特に表れていると私が感じた箇所を以下に引用する。

そして親などが歳をとって、体力的に子供の介護に自信がなくなってくると、安易に「おまえは自分の事もでけへんし、結婚などもでけへんねんから、毎月こんなしんどい生理なんか、ないようにしてまおや。あったってしょうないやろ。おまえがひとりになったときも、ちょっとでも他人に迷惑かけんですむやろ」などと親からいわれて、本人も「生理があると介護者もしんどがるし、街には私にも使えるトイレがないから、生理の日は家から外にも出られへんし、他人に″ありがとう″とばっかりいわなあかんしんどさや、介護者さがしのしんどさのことを考えたら、生理なんてないほうがええんや。子宮なんかとってしまおう。そうしたほうが少しでも楽に生きれるんや」と思い込まされてしまうのです。

差別や偏見は、教育や仕事や生活などを奪うだけのものでなく、障害者の場合、簡単に身体の一部をとられたり、優生保護法のもとで殺されたりするのです。(p.270)

重度女性障害者の日常生活のなかで、子宮は生理介護という厄介事を生み出すものとして、周囲から冷たい目で見られ、苦言を呈される。そして当事者も他人の顔色に敏感に反応し、周囲の認識を内面化していく様子が岸田の文章では記されている。

周囲に「あったってしょうないやろ。」と言われ、当事者も「子宮なんかとってしまおう。」と思い込まされてしまう。その前提として、女性障害者の性と生殖の権利が認められていないという現実がある。そもそも性と生殖に関する権利は、この文章が書かれた1980年代当時においても、そして2018年現在においても、障害の有無にかかわらず女性一般に十分に認められているとは言えそうにない状況ではあるが、特にこの本で語られる当時の重度女性障害者にとって事態は一層深刻で、複雑である。普段この現実は蓋をされ、見ないふりをされていたことが、次の文章からも読み取れる。

話をNさんのことに戻しますが、女性として生きることを否定されてきた彼女は、セックスがどんなものなのか、正しい知識も与えられてこなかったし、まして体験などあるはずがありません。ただ単純なあこがれから、介護者の男性とセックス的な問題を起こしてしまいました。娘がセックスのことなんか考えているとは、思いもしたくないし避けてきたNさんのお母さんは、この事件が引きがねになって倒れてしまわれて、お母さん自身も障害者になって、Nさんの介護ができなくなってしまいました。

Nさんは仕方なく、山奥の施設という箱の中で生きていくことになり、二年以上が過ぎました。(p.270-271)

その後Nさんは一年の大半を施設で過ごし、帰省できるのはお盆と年末年始のみという生活を送る。施設でもNさんは、子宮摘出を促される。

そして、ある寮母さんからは、家に帰るとき「あれ、ないようにしといでや。今度もどるときまでに。K子ちゃんはえええ子やから、このあいだ摘ってきやったのに。あんたはあほやなあ」と、子宮を摘ることがまるであたりまえのように強制されるそうです。そしていまは「いやや!」とだけしかいえないNさんに「おまえは家に帰っても、いろいろしゃべるからあかん」といわれる毎日だそうです。(p.271-272)

岸田は自身についても「毎月の生理介護のしんどさとつきあい、子宮ともつきあっています。」(p.272)と記しており、こうした問題意識をもって各地の重度女性障害者を訪ねたことがうかがえる。ここまでは岸田の文章を中心に紹介してきたが、岸田と金が訪ねた他の重度女性障害者の話も紹介したい。

鈴木利子の「Are you Ready?」と題された岸田と金との対談では、ベテスダという成人施設の中で、鈴木が子宮摘出の決断へと追い込まれていった様子が語られている。

やっぱり私は、このままずーっと、ここで生きてかなきゃなんないんだろうな。ほれたはれたなんて別世界のことだと。ここ以外、行き場がないと思ったら、こんなしんどい生理なんか、あっても仕方ないと思った。関係ないと思った。ここから出られないんなら、今までの健全者の女の子のもつような、夢とかあこがれとか、結婚とかウェディングドレスとかを、子宮摘出することで断ち切ろうと思った。手術をすることで、自分は障害者として、ここでずーっと生きていくんだということを、自分に言い聞かせようと思った。

私がベテスダにはいって二年ぐらいのあいだにも何人か亡くなっているわけでしょう。そのたんびにいわれることばは「死んでやっとこのひとは幸せになりました。死んではじめて障害の苦しみから自由になりました」って。 親もひきとりに来ないもん。そういうの見てきてるじゃない?自分もそうなるんじゃないかと思った。(p.32-33)

鈴木が手術を決断し、親に伝えたところ「親は私が十六のときから「摘れ」っていってたからね。まずカネの心配してた(笑)。」(p.33)という。鈴木は1983年時点で35歳で、 手術を受けたのは、鈴木によれば「はたちのとき」、すなわち1968年前後ということになる。

鈴木の受けた手術はかなり杜撰だったようで、「子宮をとったのか卵巣をとったのか、卵巣をとったのだとしたら、片っぽなのか両方なのか、本人にもわかってない(笑)いまだにわかんないの。」(p.33)と言っているほか、手術したのは内科医で子宮摘出の経験はなく、術後に内臓が膿んで中から糸が次々と出てくるため、「どうなってんだ、いったい何針縫ったんだ」と医者に尋ねたところ「わかんない」と言われたこと(p.35)など、あまりにもひどい話が複数紹介されている。

鈴木の語りからは、たとえ最終的には自分の意思であったとしても、周囲の視線と言葉に追い込まれるように手術を決断したこと、そして手術後も施設内で彼女の気持ちは蔑ろにされていたことが分かる。

摘出手術をしたあとで、何が悲しかったって、手術したこと自体悲しかったけど、手術のあと、寮長や職員に「えらいわねえ」っていわれたの。寮長も職員も、おんなじ女なのに、私の気持ちなんか、なーんにもわかんないくせに、私がどんな思いで手術したのかもわかんないくせに「えらいわねえ」っていわれたのがすごくくやしくて、悲しかった。(p.37)  

この本では、生理介護と子宮摘出にまつわる話の他にも、女性障害者の性暴力被害や結婚後のDV、子どもを産み育てる経験、障害者運動の中で女性が周縁に置かれていた状況などの様々な事柄が語られている。今回紹介したのは岸と鈴木の文章のみだったが、この本には21名の女性障害者の言葉が収められている。当然ながら、障害とひとことで言っても、脳性まひ、ポリオ、進行性筋ジストロフィーなど多様であるし、同じ障害名でも程度や生活のしかたは様々であり、さらにこの本に登場しない障害は数え切れないほどある。

障害の多様さを念頭に置いたうえで、女性学と障害学の歴史記述でもあまり言及されないように思われる重度女性障害者の置かれてきた状況と取り組みを整理し、顧みる必要性を感じたし、性と生殖に関する権利をめぐる議論について考えるにあたっても、この本で記されていたことを位置づけていけたらと思う。

  【参考文献】 岸田美智子、金満里 編『新版 私は女』1995年、長征社

 

※この投稿は以前に別ブログで書いた文章を転載したものです。

*1:毎日新聞の報道「障害者の強制不妊手術 審査経緯明らかに 検診録など発見」2017年11月16日 21時41分(最終更新 11月16日 23時11分)を参照した。

*2:日本経済新聞の報道「不妊手術強制は「憲法違反」 旧優生保護法で初提訴へ」2017/12/3 17:18を参照した。

*3:女性障害者の本については立命館大学の生存学研究センターのウェブサイト  「arsvi.com」内に「人生半ばの女性の本―「障害関係」・3―」として紹介されている。

*4:以下、丸カッコ内ページ番号は『新版 私は女』のページ番号を表す 。